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【アラベスク】  第8章 荊の城



第4節 秘密の花園 [5]




 大迫美鶴が、下級生である金本緩を裏庭で殴った。しかも一方的に―――
 嘘ではないと緩が言い張れば、間違いなくこちらの言い分が通る。なぜならば、緩の背後には廿楽がいるから。一方、美鶴は片親の低所得者で、多くの生徒から嫌われてもいる。廿楽が緩の言い分を推せば、生徒たちの間ではもちろん、教師の間でも緩の意見は支持されるはずだ。
 美鶴の言い分に耳を傾ける存在など、居るワケがない。
 これで―― これできっと山脇瑠駆真はお茶会に出てくれる。彼はきっと、大迫美鶴に愛想を尽かすだろう。なにせ下級生を殴って自宅謹慎になったのだから。
 彼は、緩が美鶴の腕にしがみついているところも、美鶴が突き飛ばしたところも見ていない。緩が校舎の壁に後頭部を打ち付けて、フラフラと座り込んでいる現場しか見ていない。
 私や小童谷先輩の計画を妨害していた大迫美鶴は排除した。これできっと、山脇瑠駆真はお茶会に出てくれるはず。
 これできっとうまくいく。きっと、廿楽先輩は私を認めてくれるはず。
「できません」
 自分を(たた)えてくれる廿楽の笑顔を思い浮かべながら、緩は己を奮い立たせてそう答える。
「撤回など、できません」
 だが聡は、毅然と言い返す緩を睨みつけ、膝を折って顔を近づける。
「バラすぜ?」
 ―――――――っ!
「お前がさ、くだらねぇ恋愛ゲームにハマってるって。妄想に浸って一人遊びしてるって、学校中にバラしてやろうか?」
 言いながら、床のパッケージに手を伸ばす。
「【ラブ・アラベスク】? 心清らかな主人公が砂漠の王国の危機を救う?」
「返してっ」
 伸ばされた緩の手が空を切る。
「豪華絢爛な砂漠の王国。華やかな異世界王朝を舞台に繰り広げられる過酷な継承争い。主人公を取り巻く男性たちは、果たして味方か? それとも敵か? あなたは、世界を潤すオアシスとなれるのか?」
 緩の手をヒラヒラとかわしながら、パッケージを読み進める聡。
「そして彼らとの恋の行方は?」
 そこでニヤリと緩を見下ろす。
「お前が砂漠のオアシス…… ねぇ?」
 下卑た笑い声が聞こえてきそうな、卑猥(ひわい)に歪められた口元。
「現実じゃあ男子にモテないからって、こんな妄想で楽しんでるんだ。へぇ、学校でバレたらどうなるんだろうな?」
「やめてよっ!」
 そんな事されたら、生きていけない。
 なぜ?
 中学時代、自分へ向けられた厳しい視線が脳裏に浮かぶ。
 本当の自分を知られたら、今の自分を取り巻く生徒たちはどのような反応を示すのだろうか? ひょっとしたら、また―――
 両手を口に当て、絶望のあまり背筋が凍る。
 その姿に、聡は呆れたように視線を外した。
「無様だな」
 その態度と一言が、緩を暗闇へ突き落とす。
 秘密の楽園を土足で穢す、悪魔のごとき醜悪な存在。
 なんて賤陋(せんろう)な男なのだ。許せないっ 許せないっ!
「どっちか選べよ」
 威圧的に選択を迫る。
「美鶴の件を撤回するか、バカげた自分を曝け出すか」
 卑怯者っ!
 怒りで気絶してしまいそう。今すぐ殺してしまいたい。
「さぁ 選べ」
「最低だわ」
「お前に、俺を(けな)す選択肢はない」
 殺してしまいたいっ!
 涙を必死に(こら)える怒りの視線も、聡は軽く()なすばかり。
 この男には、情などないのだ。そうだ。非情で悪魔のような男だ。
 湧き上がる激情に喚きたいのを必死に押さえ、緩はカクカクと口を開いた。
 嘘ではないと、嘘ではないと言い張れば、それで廿楽の信頼は回復できる。だが――――
「撤回…… します」
 本当の自分を知られたら、唐渓の生徒は緩をどう見るだろう? どのような視線を緩へ向けるのだろうか? 同級生は? 廿楽は?
 中学に入学した頃の、緩を蔑視する生徒の眼差し。ありのままの緩を、彼らは否定した。今ここで、すべてを曝け出したらどうなるか?
 ひょっとしたら、認めてくれるかもしれない。理解し、受け入れてくれるかもしれない。
 だがひょっとしたら、バカバカしいと、くだらないと笑われ、蔑まされて虚仮にされるかもしれない。
 廿楽に擦り寄って築き上げてきた今の生活環境を、ひょっとしたらなどといった、曖昧な期待に委ねることなどできない。そんな危険に晒すわけにはいかない。
 ならば本当の姿など、見せてはいけない。
「撤回します」
 悔しさにギリギリと歯噛みする間から漏れる声。緩の言葉に、聡は全身の熱が急激に冷めるのを感じた。興醒めしたように【ラブ・アラベスク】のパッケージを、ポンッと床に放り投げる。
 一番嫌う存在からの、測り知れない屈辱と羞恥。
 私が何をしたって言うの? こんなにも真面目で謙虚で慎ましく、でもきっと誰よりも芯が強くて努力もしてる。
 そんな私がどうして、どうしてこんな男に屈せねばならないのだ。
 怠惰で粗暴で残酷な男。私を脅し、侮蔑し、姑息な手段で私の生活を貶めようとする悪魔。
 そうだ、悪魔だ。堕天使のようなふてぶてしい男だ。
 こんな男がのさばるなんて、世の中絶対に間違ってるっ!


------------ 第8章 荊の城 [ 完 ] ------------





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